2011年3月16日水曜日

東日本大震災 当日のこと(その1)

地震が起きるとわたしは真っ先に事務室のドアを開けます。それから、エレベーターに人が閉じこめられていないか確認に行きます。さらに、揺れによって防火扉が閉まるとけたたましい警報が鳴るので、防火扉が閉まらないように押さえます。

2011年3月11日14時46分。

体に染みついているので、その日もいつもと同じ行動を取りました。違っていたのは、防火扉を押さえているのではなく、扉にすがっていたこと。扉にすがっていないと立っていられなかったのでした。

足が床から離れるのはないかと思うほどの突き上げるような縦の揺れ。
振り切られるのではないかというような大きな左右の揺れ。
何の音なのか分かりませんが、ガタガタと大きな音が建物内に響き渡ります。

長い時間大きな揺れが続き、ただぼう然と防火扉に寄りかかっていると、上の階からどやどやと人が下りてくるのが見えました。悲鳴に混じって、誰かが「早く外へ避難しろ!」と叫んでいる声が聞こえました。

そうか、避難しないといけないのか。ようやく我に返りました。

みんなと一緒に走って屋外へ出たとき、はっと思い出しました。緊急放送で避難を呼びかけないといけないことを。

建物に戻り、緊急放送用のマイクを手に取りましたが、操作方法が思い出せません。訓練で何回も操作しているのに。
操作盤に貼ってある操作方法を記した紙を読んでも、ぜんぜん頭に入ってきません。
それでもなんとか緊急放送を立ち上げ、屋外避難を呼びかけました。何を言ったのかは覚えていません。ただ、マイクを持つ手も、声も、震えていました。

それからわたしも屋外へ避難しました。外は雪が降っていました。寒さのせいなのか、それとも恐怖のせいなのか、体が震えていました。

点呼をしている間も、大きな余震が何度も続きました。
誰かがワンセグを見ながら、「大変だ。大津波警報が出ているぞ。」と言っています。
ここは山側だから津波が来る心配はないけれど、中には沿岸部に自宅がある人もいたはずです。このときのわたしには、沿岸部の町、集落を丸ごと飲み込むような大津波に襲われることになろうとは、ちっとも想像できませんでした。


全員の無事が確認され、相変わらず余震が続いていましたが、各自自宅に戻ることになりました。

しかし、わたしが所属する部署はすぐには帰れませんでした。火災などの二次災害の可能性がないかどうか確認しないとならないからです。
備蓄の懐中電灯や電池、ヘルメット、軍手などを出し、建物内を見てまわりました。
室内はどこも、書類が散乱していたり、パソコンや機器類が落下していたり、散々な有り様でした。間仕切り壁が倒壊しているところもありました。パーテーションや書棚が傾いているところもありました。電気温水器が倒壊し、あたり一面、水浸しになっていました。
日が傾き初め、薄暗がりの建物内を非常用発電機のゴーーーっという地鳴りのような音が響き渡り、ただでさえ不安な気持ちをさらにあおります。


建物内を一通り確認して帰宅の途についたときには、地震発生から3時間弱が経っていました。


大変なことが起きてしまったと思いつつも、現実のものとして受け入れらずにいました。



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