2011年3月26日土曜日

東日本大震災 〜2週目の記録〜

Mar.18.(fri)
上司からの呼び出しにより出社。道路が凍結しているのとガソリンの残量が心配。

Mar.19.(sat)
午後、夫とともに徒歩で近所のスーパーめぐり。並ばずに入店できるように。
やまや(酒屋)でお酒を調達(食べ物は皆無)。ビッグハウス(スーパー)でたまご、野菜等を購入。店頭に並ぶ食材が増えてきたのを実感。
会計待ちをしていたら東京に住む友人から結婚の報告が入り、飛び上がるほど驚く。

Mar.20.(sun)
高速バスで夫の実家へ。久しぶりにお風呂に入る。お風呂あがり寒く感じたのは垢が落ちたせい?
みんなで温かい食事をとり、ホッとする。義父からもらったシャンパン(バレンタインのお返し)をみんなで飲む。姿も美しく、味もすばらしいシャンパン。(お義父さん、またもや大奮発してくれたのね!)

Mar.21.(mon)
夫の実家近所のお店で、お肉と野菜を調達。
キャンプ道具(コンロ)を借りて帰る。

コンロ on コンロ!

Mar.22.(tue)
この週から通常勤務開始。車通勤のわたしはガソリン不足により、上司の車に同乗させてもらうことに。乗り合いで出勤する社員がほかにもゴロゴロ。早くガソリンの供給が安定しますように!
藤沢に住む妹夫婦からの支援物資「IH卓上コンロ」等が会社近くの宅配便のセンターに届き、急いで取りに行く。義弟が週末名古屋に行った際、買ってきてくれたもの(首都圏でも品薄状態だとか)。IH対応の鍋を持っていないため、鍋も同梱されていた。とてもとてもありがたい。



Mar.24.(thu)
妹夫婦から送ってもらったIH卓上コンロで料理をしてみる。IHが不慣れなため火加減(温度加減?)が難しい。



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ひとつひとつの行動に時間がかかるけれど、それでも地震直後に比べたら「できること」が増えてきてうれしい一週間だった。


2011年3月19日土曜日

東日本大震災 〜1週目の記録〜

Mar.12.(sat)
早起き。日中マンションに戻り、部屋の片づけ。
大家さんが受水槽を開け、給水させてくれる。
夕方実家に戻り、みんなで夕食。
【壊れたもの】
電子レンジ、サイドボードの足、タンブラー、ワイングラス、カップ&ソーサー、花瓶、水出し珈琲ポット、キャセロール(鍋)

Mar.13.(sun)
早起き。日中マンションに様子を見に戻ると、水道と電気が復旧していた。
夕食は両親を呼んでマンションで食べることに。
両親宅から借りた電子レンジで作った生ラーメンがまずかった。

Mar.14.(mon)
出社。

Mar.15.(tue)
泉中央のイトーヨーカドーに朝から4時間並ぶ。買えたものは少ないが、買い物ができる喜びが感じられた。


近所のおそば屋さんが開いていて、温かいおそばを食べて生き返る。
夕食は夫が買ってきた利久の牛タン弁当。温かい食事でホッと一息。

Mar.16.(wed)
日中はおとなしく自宅で過ごす。
夕食は電気が復旧した実家(14日復旧)にてお好み焼きを食べる。

Mar.17.(thu)
雪の降る中、スーパービッグ旭ヶ丘店に並ぶ。7時半から11時まで。ひとり10分間で20品まで購入可。春雨や魚肉ソーセージ、ベーコンブロック、ほっけ、タマネギなど、17品目購入。
いったん自宅に戻り、今度は車でヤマダ電機へ。電子レンジ購入。
お目当てのレンジが買えて大満足(ラスト1台だった!)


さらに仙台朝市へ足をのばし、またもや小一時間ほど並んでお米(6合)と野菜を少々ゲット。
この日は一日雪が降っていてとても寒かった。
帰りに夫をピックアップ、利久の牛タン弁当を2個購入。


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長時間並ぶのが「あたりまえ」に思えてきた。
並んでいるとき、自分の番が「まだまだ」のときは苦にならないのに、「もうすぐ」になると途端につらくなってくるのが不思議だった。


2011年3月16日水曜日

東日本大震災 当日のこと(その3)

実家に着いて、とりあえず簡単に夕食を済ませました。
灯りは仏壇のろうそくと懐中電灯。食べたのはパン。

暗がりの中、みんなで今日の地震のことを口々に話したり、度重なる余震に怯えたり…。

夜になりさらに冷え込んできたのか、ダウンを着ていても寒く感じました。
とにかく疲れたので(気持ちは高ぶっているけど)、21時には布団に入りました。
いつでも避難できるよう、服を来たままで。


東日本大震災 当日のこと(その2)

会社からの帰り道。
停電のため信号が消えている道路を慎重に運転しながらも、頭の中では自宅の様子が気になって仕方がありません。

きっとテレビは倒れているだろうな。食器棚のお皿やグラスが飛び出して割れているかもしれない。そもそもマンションは大丈夫なんだろうか…。いろいろなことが頭をよぎります。


幸いマンションは無事でした。少なくともそう見えます。近くに寄ってみると壁のペンキがはがれているところなんかがあるけれど、大きな被害はなさそう。

恐る恐る部屋の中へ足を踏み入れてみると…。
テレビは無事でしたがもっと大きなものが転倒していました。それは大のお気に入りのサイドボード。


高さ70cmくらいないのに、なんでこんな倒れ方…。後ろの足が2本折れています。中に大切にしまっていた頂き物のバカラが割れてしまいました。


キッチンはこんな具合。


これまた背の低い食器棚が前に移動し、上に乗せていた電子レンジが前面に、炊飯器は背面に落下していました。足の踏み場がないとはまさにこのこと。お誕生日プレゼントにいただいた鍋が割れているのが目に入り、気持ちがいよいよ落ちていきました。

そうはいっても、落ち込んでいる時間はありません。
被害のほとんどなかったわたしの実家に避難することになっていたからです。

まだ日が沈みきらないうちに、わたしと夫の分の当座の荷造りをしないといけません。

風を通さない温かい服、下着と靴下、靴底の厚いスニーカー、ラジオと懐中電灯、ありったけのエネループ、カイロ、調理しないでも食べられるもの…。

必要と思われるものをリュックサックに詰めて、あとは夫の帰りを待つばかり。

いよいよ日が暮れてきて、不安な気持ちが募ってきます。

余震が怖くて玄関のドアを開けたままにしていたので、外の音や人の動きが分かります。
うちのマンションの向かい側に町内会の集会場があり、近所の人がぞろぞろ集まってきているのが見えました。人が動いている様子を見ると、なぜか自分にも活力が沸いてくるから不思議です。会ったこともない人たちなのに…。人間が生きるために行動しているのを、本能で感じ取っているのでしょうか。


とにかく動き出さないと!


東日本大震災 当日のこと(その1)

地震が起きるとわたしは真っ先に事務室のドアを開けます。それから、エレベーターに人が閉じこめられていないか確認に行きます。さらに、揺れによって防火扉が閉まるとけたたましい警報が鳴るので、防火扉が閉まらないように押さえます。

2011年3月11日14時46分。

体に染みついているので、その日もいつもと同じ行動を取りました。違っていたのは、防火扉を押さえているのではなく、扉にすがっていたこと。扉にすがっていないと立っていられなかったのでした。

足が床から離れるのはないかと思うほどの突き上げるような縦の揺れ。
振り切られるのではないかというような大きな左右の揺れ。
何の音なのか分かりませんが、ガタガタと大きな音が建物内に響き渡ります。

長い時間大きな揺れが続き、ただぼう然と防火扉に寄りかかっていると、上の階からどやどやと人が下りてくるのが見えました。悲鳴に混じって、誰かが「早く外へ避難しろ!」と叫んでいる声が聞こえました。

そうか、避難しないといけないのか。ようやく我に返りました。

みんなと一緒に走って屋外へ出たとき、はっと思い出しました。緊急放送で避難を呼びかけないといけないことを。

建物に戻り、緊急放送用のマイクを手に取りましたが、操作方法が思い出せません。訓練で何回も操作しているのに。
操作盤に貼ってある操作方法を記した紙を読んでも、ぜんぜん頭に入ってきません。
それでもなんとか緊急放送を立ち上げ、屋外避難を呼びかけました。何を言ったのかは覚えていません。ただ、マイクを持つ手も、声も、震えていました。

それからわたしも屋外へ避難しました。外は雪が降っていました。寒さのせいなのか、それとも恐怖のせいなのか、体が震えていました。

点呼をしている間も、大きな余震が何度も続きました。
誰かがワンセグを見ながら、「大変だ。大津波警報が出ているぞ。」と言っています。
ここは山側だから津波が来る心配はないけれど、中には沿岸部に自宅がある人もいたはずです。このときのわたしには、沿岸部の町、集落を丸ごと飲み込むような大津波に襲われることになろうとは、ちっとも想像できませんでした。


全員の無事が確認され、相変わらず余震が続いていましたが、各自自宅に戻ることになりました。

しかし、わたしが所属する部署はすぐには帰れませんでした。火災などの二次災害の可能性がないかどうか確認しないとならないからです。
備蓄の懐中電灯や電池、ヘルメット、軍手などを出し、建物内を見てまわりました。
室内はどこも、書類が散乱していたり、パソコンや機器類が落下していたり、散々な有り様でした。間仕切り壁が倒壊しているところもありました。パーテーションや書棚が傾いているところもありました。電気温水器が倒壊し、あたり一面、水浸しになっていました。
日が傾き初め、薄暗がりの建物内を非常用発電機のゴーーーっという地鳴りのような音が響き渡り、ただでさえ不安な気持ちをさらにあおります。


建物内を一通り確認して帰宅の途についたときには、地震発生から3時間弱が経っていました。


大変なことが起きてしまったと思いつつも、現実のものとして受け入れらずにいました。



2011年3月11日金曜日

生命力

ベッドサイドに飾っていたミント。気づいたらとんでもないことに!


葉は陽の光を求めて上へ上へと伸び、根は水を求めて所狭しと伸びたもよう。
すごい生命力!わたしもミントにあやかりたい。


2011年3月7日月曜日

スガ焙煎珈琲豆店

このお店を知ってからというもの、コーヒー豆はこちらでしか買わなくなりました。
そのお店とは「スガ焙煎珈琲豆店」。宮町にある小さなお店です。


こちらで購入した豆を手動ミルで挽くと…あまりにスムースに挽けるのでもうびっくり!ひっかかりがまるでない。
お湯を注ぐとモコモコと膨らんできます。豆に力がある感じ。生命力を感じます。

ネルドリップで淹れてもペーパードリップで淹れてもいつでもおいしいので、わざわざ買いに行く価値が十分あるというわけなのです。

余談ですが、おいしいコーヒーにはおいしいお茶請けがあるとますます幸せ度がupしますね。よーし、週末にはスコーンを焼くとしよう!



豊かなコーヒータイムのため、スガ焙煎珈琲豆店、これからもお世話になりたいと思います!


スガ焙煎珈琲豆店
電話:022-399-6115
住所:仙台市青葉区宮町2-2-20
時間:12:00〜20:00
休み:不定休

2011年3月3日木曜日

ソウルチヂミ

仙台高等裁判所の向かい側にある韓国料理のお店「ソウルチヂミ」、そのお店の前を通るたび気になっていました。
さほど広くない店内は、いつもお客さんでにぎわっているし。
ガラスの壁には「東北初 生マッコリ」なんて書いてあるし。

なので、会社帰りに寄ってみました。

外から見るよりもっとこじんまりとした店内には、テーブルが4卓とカウンター席が6席くらい。韓国のかたと思われる女性2人で切り盛りしている様子。

マッコリも何種類もあって、どれもこれも試してみたいところですが、初来店なのでここはスタンダードな「生マッコリ」をグラスで(←ホントは「やかん」で頼みたかったけど、この日アルコールはわたししか飲めなかったので自重)

お料理はチヂミ(大)とチゲを何かひとつオーダーしようと思っていたら、店員さんが、チヂミは「小」でいいよ、二人で「大」だと飽きるから、「小」を2枚、別々の味にしたほうがいい、とアドバイスをいただきました。なので、素直にふつうのチヂミ(小)を1枚と、店員さんお勧めのキムチチーズチヂミ(小)を1枚にしました。そしてチゲは、これまた種類がある中で、店員さんお勧めのプルコギチゲ(そんな名前ではなかったと思うけど)をお願いしました。

初めて飲む生マッコリは、程よいシュワシュワ感と酸味・甘味で飲みやすい!

生マッコリ
昔、給食に出てきたような食器(下絵)で飲むんですね。やかんも同素材のようでした。

(参考)


ふつうの「チヂミ」は、間違って海鮮チヂミがきちゃったのかなと思ったくらい、イカなどがゴロゴロ入っていました。思ったよりサイズが大きくて、これホントに「小」?と驚いてしまいます。外はパリパリしていて、中はふっくら。どうやったらこんな風に焼けるのでしょう?自宅でホットプレートで焼いても、こんな風には焼けませんよね。

キムチチーズのチヂミも美味。キムチとチーズってテッパンコンビなんですね!ついつい箸が進みます。お酒も進みます。


さて、いよいよプルコギチゲですが、店員さん曰く「すき焼きみたいなチゲ」。確かに甘いんです。ご飯がほしくなるような味でした。お肉と野菜をたっぷりいただきました。

マッコリを飲みながらお料理を存分に堪能した私。一方、夫は「しょっぱい」味が欲しくなるとのこと。確かに、(私見ですが)韓国のお料理って辛い or 甘いって感じですよね。そういえば、韓国で食べた冷麺、甘くてびっくりしたっけ。


そんなこんなでふたりでおなかいっぱいになり、お会計は4,000円でちょっぴりお釣りがきました。

んんーー、カムサハムニダ!